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みぞ

私はフラットなボタンは嫌いだ。 みぞがあるボタンが好きなのだ。 ボタンのみぞは何のためにあるのだろうか。 ボタンを掴みやすくするためだろうか。 ボタンをかけ易くするためだろうか。 ボタンにわざわざ加工をするのだから理由があるはずである。 ただ単にその物体を美しくするためだけなのかもしれないが。

扉にもみぞがある場合があるし、家具にもある場合がある、 みぞがあることによって、その物体自体に影が生まれる。 その影が見た目に深みを与えていると思う。私はみぞが好きである。

私はどちらかというと、用の美が好きなほうだ。 機能がそのまま美しさにつながるものであってほしいし、美しいものは機能的であることがいいと考えているほうである。ただし、ここで言うみぞのように、ただただそれが美しい。あって正解!ということもあり得る。それだから、こういう物体に対する美しさには定義付けが難しい。

みぞについて言えるのは、そこに狂いのない幾何学が生まれていて、それが美しさと関係があるかもしれないということだ。ボタンにしても円だし、扉や家具にしても直線や直角を形成する。そういった幾何学から生まれる美しさに弱い。

先日、カイ・フランク展に行ったが、カイ・フランクも幾何学を基本に製品を生み出していた。幾何学には、比率が存在するし、確実に美しい比率を求めて、建築家やデザイナーが脳みそを使ってきた。みぞというのは、物体の佇まいに深みを与えているのは確実だが、もっともっと研究されていいところかもしれない。なぜ人間は物体にみぞを与えるのかにおいてを。

日常KODAMA YOSHIYUKI